イタリアのヴェネツィアは世界で最も観光的な都市といわれています。
それは訪問する観光客の数が世界で一番多いということではなく、「住民の数に対して観光客の数が多い」という意味です。
観光産業はたしかに住民に大きな利益をもたらします。しかし、観光に重きを置き過ぎたがゆえ、住民の日常生活との共存が難しくなってきているのがヴェネツィアの現状です。
今回は、オーバーツーリズムを語る際によく例として出されるヴェネツィアの観光公害の現状、そして、コロナ禍での観光産業の鎮静化を好機と捉え、未来に向けて持続可能な観光を目指す取り組みなどをご紹介します。
世界有数の人気観光地 ヴェネツィアの魅力
ヴェネツィアの歴史
ヴェネツィアは東ゴート族とロンゴバルド族によって追放されたヴェネツィア人が、ポー川の河口の沼地に避難して作った街です。その歴史は5世紀頃まで遡ります。
波の被害を受けない穏やかな海に囲まれたラグーン(水深の浅い潟)に街をつくることで、ヴェネツィア人は他民族の征服から逃れてきました。
その後ヴェネツィアは東地中海への容易なアクセスを利用し、海洋貿易国家として発展を遂げます。
「アドリア海の真珠」とうたわれたこの街は1797年にナポレオンに降伏するまで、実に1000年以上も東地中海の覇者として歴史上最も長く続いた共和国の座に君臨しました。
ヴェネツィアの魅力
「ヴェネツィア」と聞いたとき、何を思い浮かべるでしょうか。
翼を生やしたライオンが見守る「サン・マルコ広場」。大小の運河を自由自在に移動する三日月型のゴンドラ。仮装した人々が街にあふれ、時代を逆行したような気分に浸れるカーニバル。どれもヴェネツィアの特徴のうちの1つではありますが、全てではありません。
この街の最大の魅力はなんといっても「世界で唯一の海に浮かぶ街」という点でしょう。
ヴェネツィアを旅する人々は、運河を走る水上バスから海に浮かんだ素晴らしい建物を見るとワクワクするはずです。この街を「海に浮かぶディズニーランド」と呼ぶ人もいるほどで、その目を奪われるような美しい光景はヴェネツィアへの観光客を魅了し続けています。
ヴェネツィアのオーバーツーリズムとその弊害
運河の汚染
イタリア政府がコロナ禍下で最初のロックダウンをはじめたのは2020年3月上旬。その1週間から10日後には、WebニュースやSNSに「ヴェネツィアの運河が綺麗になった」との記事や投稿が掲載され始めました。
「水が透明だ!」
「運河の魚が見える!!」
「こんな綺麗な運河は見たことがない!!!」
驚きとともに喜ぶヴェネツィア住民のコメントが世界各地に拡散されました。
ラグーン上に形成された都市であるヴェネツィアでは、小さな島々が橋で結ばれており、移動手段は徒歩か運河しかありません。
普段のヴェネツィアの運河は水上バス、水上タクシー、ゴンドラで溢れかえり、さながらゴールデンウィークの高速道路状態。それらの移動がロックダウンにより制限されたことで、運河に静けさが戻ってきたのです。
ヴェネツィアでは、運河の汚染は日常生活の質に直結しています。
気温があがる夏場には潮の流れによって悪臭に悩まされる日もあり、また、春と秋にはAcqua Alta(アックア・アルタ)と呼ばれる高潮が満潮時に発生して、汚れた運河の水で建物の地上階部分が水浸しになることもあります。
もちろん、ヴェネツィアには長い歴史の間に考案・改善されてきた独自の下水システムがあり、ホテルやレストラン、美術館、病院、オフィスなどのすべての企業には浄化槽の設置が義務付けられています。
それでも運河に流れ出る排水はあり、加えて大量の観光客が気軽にポイ捨てするゴミや、近年人気が右肩上がりのクルーズ船の航行などで、ヴェネツィアの運河は常に汚れている状態でした。
コロナ禍の恩恵として思いがけず運河の美しさを目にしたとき、ヴェネツィア住民はいかに観光産業によって環境が悪化していたのかということを再認識したのです。
住民の数と観光客の数の不均衡
2017年のデータでは、ヴェネツィアを訪れた観光客は年間で約500万人、対前年比プラス8%です。それに対して住民は約26万人、対前年比マイナス2.2%になっています。
観光客は増加しているが住民は減少しているという現象は2017年に限ったことではありません。
過去のデータに目を向けると、2017年までの12年間で観光客は約180万人増加。一方で住民数、特に観光客が訪れる歴史的中心部と島しょ部の人口は年々減少し、過疎化が進んでいます。
住民が減少している原因として挙げられるのが、ヴェネツィアが他の観光地に比べて、観光客と住民がかなり頻繁に同じスペースを共有しているということです。
- 押し寄せる観光客による公共交通機関の混雑
- 住民が生活するためのプライベートスペースの減少
- 住民のための各種サービスや家賃の高騰
- 住民の誇りである歴史的文化遺産の劣化
これらが住民のヴェネツィアからの「逃亡」を後押ししています。
観光産業の発展はその地域にお金を落としますが、住民が観光客を「多すぎる」と認識している場合、それは「観光公害」にもなりうるのです。
ヴェネツィアのオーバーツーリズム解消への取り組み
#EnjoyRespectVenezia
ヴェネツィア自治体は、ヴェネツィアの環境、風景、芸術美、そして住民のアイデンティティと尊厳を守り、持続可能で責任ある観光を促進するために、「#EnjoyRespectVenezia」に取り組んでいます。
このキャンペーンの目標は、観光がどういう影響を及ぼすかについての訪問者の認識を高め、持続可能で開発に貢献できる、責任ある旅行の方法を広めることです。
責任ある訪問者のための12のグッドプラクティス
#EnjoyRespectVeneziaの取り組みとして、「責任ある訪問者のための12のグッドプラクティス」と呼ばれる観光客の意識向上キャンペーンがあります。
観光が都市に与える影響を最小限に抑えるために、観光客は次の12のガイドラインに従うことを推奨されており、違反した場合には25~500ユーロの罰金が設定されています。
- 歴史的中心部では、あまり知られていない場所を発見しましょう。
- 歴史的中心部だけでなく、ラグーンの他の島々と本土を探索しましょう。
- 地元の特産品と伝統的なヴェネツィア料理を味わいましょう。
- 小さな職人の工房を訪れ、世代から世代へと受け継がれているヴェネツィア工芸を尊重しましょう。
そして、オリジナルの手作り製品のみを購入しましょう。 - 歩行者の通行を容易にするために、常に右側を歩き、写真を撮るために橋に立ち止まるのはやめましょう。また、歴史的中心部で自転車を運転しないでください。
- 記念碑の前、教会の墓地、または運河に降りる階段に座ってランチを食べず、適切な公共の緑地に行きましょう。
- サンマルコ広場の記念碑的なエリア内では、許可されている飲食店が提供するスペース以外では食べ物や飲み物を消費することは避けてましょう。
- 許可された観光ガイドにガイドを依頼しましょう。
- 野宿をしたり、運河でダイビングや水泳をしたり、歴史的中心部で上半身裸で歩いたりしないでください。
- 街の歴史的、芸術的遺産を尊重し、地面にゴミを捨てないでください。
また、建物を汚したり、南京錠をかけたり、ハトに餌をやったりしないでください。 - アパートに滞在する場合は、ごみは分別してください。
- 予想混雑レベルに関する情報を提供するオンラインポータル「TouristBulletin」を参照して、比較的混雑していない期間を選んで訪問しましょう。
#Detourism
「#Detourism」キャンペーンも#EnjoyRespectVeneziaの取り組みの1つです。
まだまだ知られていない宮殿や庭園、教会、美術館。そして、ラグーンの島々の歴史的な村や、ヴェネツィア本土の古代の要塞、自然地域など、ヴェネツィアの歴史的中心部以外の「これまでとは違ったヴェネツィア」をウェッブマガジンとニュースレターで紹介しています。
ちなみに、「Tourism」の前に付いている「De」はラテン語の接頭語で、「距離を置く」「動きを緩やかにする」という意味です。
固定化されたヴェネツィア観光の概念とは異なった視点でのツーリズムを広め、人で溢れたお決まりの観光コースではないものも楽しんでもらう。歴史的中心部への観光客の集中・過密を防いで観光公害を解消し、観光客とヴェネツィア市民の日常生活との共存を目指そうという動きが進んでいます。
最後に
コロナ禍で観光客の訪れが少ない現在を「歴史的好機」と捉え、インターネットなどを通して将来の訪問者を啓蒙し、持続可能な観光都市に向けての新しいページをめくるのか。
それとも、パンデミックが収束したら何もなかったかのように元に戻り、オーバーツーリズムの弊害を甘受しながらも進んでいくのか。
奇跡のように水の上に生まれた、世界唯一の「海の都」ヴェネツィア。
この美しい街がオーバーツーリズムの代名詞を卒業し、持続可能な観光を実現することを願いつつ、WEELSでは今後もその取り組みを追い続けていきたいと思います。
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海外在住、潜って踊れるママさんライター。趣味は雑学収集で、得た知識をライティングに反映するWin-Winな循環が理想。