令和5年4月にこども家庭庁の新設が決まり、「子どもの健やかな成長を見守る機能」としての家庭に焦点が当たることが増えています。
しかし、一言で家庭といっても、その構造は様々です。また、子どもの発達段階によって、家庭が抱える悩みや問題も変わっていきます。
子どものいるどんな家庭でも、子どもの実態に応じて外部からの助けを必要としています。家庭の支えだけでは、子どもの健やかな成長には十分ではありません。外部の様々な大人たちの支えがあってはじめて、子どもたちは豊かな時間を過ごし、少しずつ成長していけるのです。
「父母と先生の会ー教育民主化のために」は、戦後に文部省(当時)から発行された文章です。そのパンフレットには、「子ども達が正しく健やかに育って行くには、家庭と学校と社会とが、その教育の責任をわけあい、力を合わせて子ども達の幸福のために努力していくことが大切である」と書かれています。
パンフレットに書かれたこの文章こそが、「家庭」「学校」「社会」の三者が協働し合うために発足したPTAの理念です。
「PTAなど必要ない」と声のあがる現在。今の社会に合ったPTAの存在意義を改めて問い直し、保護者と学校現場の協働の形を考えたいと思います。
子どもたちを取り巻く大人たちの抱える問題
まずは、子どもを取り巻くそれぞれの環境で、どのような問題が顕在化しているか見てみましょう。
中教審答申から問題点を読み解く
2019年に中央教育審議会が「新しい時代の教育に向けた持続可能な学校指導・運営体制の構築のための学校における働き方改革に関する総合的な方策について」と題して答申を出しました。
答申の中の「学校における働き方改革と子供、家庭、地域社会」では、以下のことが指摘されています。
- 部活動の休養日の増加により、子どもや家庭が判断する時間が増加し、子どもや家庭自身が考え、判断し、行動することの必要性。
- 家庭生活や社会環境の変化によって家庭の教育機能の低下も指摘される中で、家庭の役割や責任を明確にすることの重要性。
- 本来であれば家庭や地域でなすべきことが、学校に委ねられており、現場の業務拡大に伴う疲弊の危機。
参照:PTAのトリセツ~保護者と校長の奮闘記~
学校現場での長時間労働の問題が問いただされる中、解決策の1つとして家庭や地域との協働関係を見直すことが指摘されています。
「問題の根底にあるのは、保護者や学校が教育を『サービス』だと考えていることにある」と教育研究者の鈴木大裕さんは言います。サービスの提供者と需要者の関係では、ともに子どものため協働していくという考えは生まれにくいのかもしれません。
学校教育に大切なのは、「保護者と学校がすべての子どもたちの『人としての成長』を一緒に追い求めること」であり、それは「父母と先生の会」に書かれたPTAの理念にも合致します。
つまり、「学校と家庭」や「家庭と家庭」の間に橋を渡し、地域に協働の輪をつくっていく役割を担いうるのがPTAではないでしょうか。
しかし、橋を渡すときに障害となるのが「自分の子のことは自分の責任」だという考え方です。
教育社会学者の桜井智恵子さんが言うように、「『個人の問題』とされてきたことを見直すところから始める必要」があるように思います。
例えば、家庭の事情により学校に通うことが困難な子ども、がんばれない子どもも中にはいます。そういった子どもたちを、はじき出さないような学校にするにはどうすればいいかを考えることは、学校現場だけで考える問題ではなく、保護者を含めた地域全体で考えていく必要がある問題なのではないでしょうか。
学校現場や各家庭で抱える問題について、子どもを取り巻く大人たちで共有し共に考える場をつくること。考える場をもつことで、「自分の子」ではなく、「自分の子がいる教室」や「自分の子がいる学校・地域」と視野が広がっていくのではないでしょうか。
では、保護者同士、また保護者と学校職員が子どものためを思い、意見を交わしあう場に対して、学校現場はどう考えているのでしょうか。
参照①:新しい時代の教育に向けた持続可能な学校指導・運営体制の構築のための学校における働き方改革に関する総合的な方策について(答申)(第213号)
参照②:(耕論)学校と親の距離 朝日新聞
学校現場から求める保護者の声
平成27年度に厚生労働省により行われた「人口減少社会に関する意識調査」があります。調査により、7割以上の家庭で子育てに伴う負担・不安を抱えていることがわかりました。
理由としては、経済的なものがもっとも多く、「仕事と家庭の両立支援、長時間労働など働き方の見直し」も9割以上の家庭が求めています。
多くの不安を抱えて子育てをするそれぞれの家庭には、思いを共有したり、情報を共有したりする場所はあるのでしょうか。また、学校現場は、それぞれの家庭の抱える負担や不安を聴けているのでしょうか。
結論から言ってしまえば、各家庭の思いや情報を共有する場は少なく、聴く余裕もない現場が多いのが現状です。
現場では部活動や電話対応の時間を制限し、勤務時間の短縮を試みることは行われています。まずは時間の確保だと業務改善が進みますが、これで根本的な問題は解決するのでしょうか。家庭からの本音は聴けるようになるのでしょうか。
PTA役員の経験がある保護者は、「話しかけたくても先生のほうがいっぱいいっぱいだととても言い出せない。気をつかいます。」と気持ちを語ります。
業務内容を変えるのにはもっと大規模な変革が必要です。では、学校が変わるまで、保護者には不安を抱えながら待っていてもらうしかないのでしょうか。
2014年から本多聞中学校(神戸市)の教頭・校長としてPTA改革に関わってきた福本靖さんは、「保護者と本音のやり取りをすることが学校運営の基本になる」とPTAのトリセツの中でもはっきり明言し、PTAの改革を進めてきたと言います。
新しいことを始めようということではない。今までもあったPTAという組織のあり方を問い直し、「保護者と教員が本音のやり取り」ができる場にすることなのです。
参照①:PTAのトリセツ~保護者と校長の奮闘記~
参照②:教育No826 かもがわ出版
参照③:(耕論)学校と親の距離 朝日新聞
参照④:平成27年度「人口減少社会に関する意識調査」 厚生労働省
保護者と学校との本音のやりとり
不安を抱える家庭と学校とがいかに本音で話し合えるか。具体的にどのような取り組みが行われてきたのでしょうか。
PTAの改革の実際
先に述べた本多聞中学校のPTA改革の軸は、「保護者と本音のやり取りをする場」としてのPTA再編でした。
再編のために大きな障害となっていたのは、PTAに対する保護者の嫌悪感です。やりたいと思う人がいない組織から、本音を引き出すのは難しい。
そこで、PTAの何がいやなのかをアンケートで明らかにすることから始めます。アンケート結果からは、大きく4つの観点について気づきがありました。
- 保護者はPTA活動に参加することに、単に忙しいから嫌というだけでなく、活動に意味が見いだせない、意義を感じない。
- 引き受けるときはやれることだけでいいと言いながらも、無尽蔵に続く活動の負担を警戒している。
- 自分が休むと誰かが代わりにそれをするという申し訳なさ。
- 役員となったらなったでそれなりの利点もあり、1年だけなら不満がありながらも頑張ればできると思っている人が大半。
参照:PTAのトリセツ~保護者と校長の奮闘記~
この気づきを具体的に突き詰めていくと、意味が見いだせない活動や無尽蔵に続くと思われていた活動は、専門委員会に関わる活動だということがわかりました。
そこで、本多聞中学校では、専門委員会を廃止することを決定しました。そして、専門委員会を各学年委員会に統合しスリム化することで、学校現場との意見交換の場である運営委員会のためのエネルギーと時間を確保しました。
従来であれば、運営委員会に参加するのは各委員会の代表者のみだったのに対し、PTA役員であれば誰でも参加できるような仕組みにし、より多くの意見を聴けるように変えていきました。
PTAの改革を望む保護者の思いと学校職員の代表である校長の覚悟が実り、「保護者と本音のやり取りをする場」としてのPTAを再編することが実現したのです。本気の度合いは、PTA役員が全員立候補で決まったという事実からもわかります。
本多聞中学校の例は、今の社会に合ったPTA組織の1つといえるのではないでしょうか。
参照:PTAのトリセツ~保護者と校長の奮闘記~
誰でもない自分として語れる場所
一方で、保護者との本音のやりとりを実現する手段は、PTAの再編だけではありません。
埼玉県の黒目川での川遊びを通じて保護者と学校職員がゆるやかに繋がる場をつくり、結果として「おやじの会」なるものが結成された例もあります。
「おやじの会」ができてからは、震災支援活動やもちつき、花見、週末夕方からの交流会などと活動は拡大し、ときには500人近い人たちが集まり行ったイベントもあったようです。
筆者は学生の時に、「おやじの会」が主催する「2分の1成人式」に参加したことがあります。
当時を振り返り、学校関係者でも地域の関係者でもない私を受け入れるゆるやかさが、その場にはあったなと感じます。言い方を変えると、それは私個人として関わることができた経験でもありました。
この場であれば、学校職員と保護者、保護者と保護者が本音を語り合えるのではないかと感じました。なぜなら、誰でもない自分がこの「2分の1成人式」で語る言葉は、すべて自分の言葉だったからです。それは、本音とも言えるものだったのではないかと思います。
「この場は、子どものために学校がより良い環境になるため、本音で意見を交換するためにあります」と、本多聞中学校のように、本音を話すことを場づくりの目的にすることも1つです。
しかし、お互いが等身大で話せる場づくりからスタートし、だんだんと本音が言い合えるようになる関係性もあるのではないでしょうか。
世田谷区立桜丘中学校元校長の西郷孝彦さんは、「保護者に気軽に校長室に来てもらえるような関係づくり」を進めてきたと朝日新聞のインタビューに答えました。
風通しの良い関係だったからこそ、学校に来れていない生徒の家庭状況もいち早く把握することができ、外部の組織への連携に繋がった経験もありました。
閉鎖的な風土の中での関係では、情報の共有は滞り、本音は見えないところへ隠れてしまいます。「保護者と学校がお互いに顔が見える関係」になることで、保護者からの本音の声が聞こえてくるようになるのではないでしょうか。
これらの例のように、かしこまらない気軽さが、保護者との本音のやりとりを引き出すことも十分にあるでしょう。
参照①:さんにごりらのらぶれたあ
参照②:(耕論)学校と親の距離 朝日新聞
子どものために協働し本音を語り合う
高知県土佐町には、PTCというイベントがあります。
「PTC」は「Parents Teachers Children」の略です。なぜ、保護者と学校職員が一緒に1つの組織をつくっているのか。それは、子どもたちのためにほかなりません。
分断や対立を生み出すのではなく、本音を語り合い、子どものための協働を生み出せる学校と家庭であってほしいなと思います。
参照:とさちょうものがたり
グアテマラでの2年間のボランティア活動や学校現場での経験を経て、現在は気候変動問題に取り組む。週に1回マイバリカンでセルフカットするサステナブルBOZU。